マイク福田の       Vol.4
アンへレス物語

すると、驚くことに双方の家族とも全員がうんうんと頷き、叔母までが「どうせ日本人は金持ちなんだからケチらないで払ってやれ」と言いだすではないか。これにはボクもムッとし「不動産屋でもないのに5%はないだろう」と反撃するが、7万ペソという大金に目が眩んでいるチャエンおばさんも頑としゆずらない。結局叔母さんの鶴の一声、「アンタ!チャエンに規程通り払ってやれ、但し、チャエンも6万ペソにしてやってくれ」。これには両家族も大満足し、やんややんやの大喝采!。ハッピーハッピーの酒盛りになったのだ。反対に、理不尽にも6万ペソも支払わされたボクは「なにが、ハッピーなものか。こんな事なら飯なんか奢らなければよかった」と浮かぬ顔でブツブツ呟く。その横ではチャエンおばさんが6万ペソ懐にし、ニッカニッカ。ところが、この6万ペソの謝礼金を払ったことが瞬時にご近所に伝わったからたまらない。ジジ・ババ軍団がどっと叔母の家に押し寄せ、「我々だって協力したんだから、ご祝儀を出せの、謝礼をくれろ」との攻勢。すっかり抵抗力喪失し、各自にご祝儀金とし千ペソ・ニ千ペソと払わされる嵌めにおちいり、悔しさと情けなさにクラクラと目眩がして、自宅へ飛んで帰り頭からシーツをかぶって不貞寝してしまった。

おまけに、大家が真面目なテナントばかりと太鼓判を押したアパートの住人連中。実はこれがとんでもない不真面目人間の集団。平気で家賃の滞納するわ、物は壊したり盗んだりで、証拠を挙げ問い詰めても知らん顔。これにはホトホト泣かされ、「こんなことならいっそ保険を掛け火つけしてやろうか」とノイローゼ気味になった。もっともクラーク基地放棄決定で100年間に及ぶアメリカ支配が終り、それから4年も経っても、未だ他力本願の市政府は、将来への展望も方針も出せずお先真っ暗状態だから、住人も増えない。アパート家賃も米軍時代と違って、平均1500ペソが相場という安値。それにもし借家人をうまく追い出したとしても次の借り手がおいそれといないので、そう強気に追い出しも出来ず、只々ひたすら不良テナント連中に家賃を払ってくれと懇願するばかりだった。

又、ここからカーメンビルの自宅まで帰るには、混雑するマッカサー通りを避け、クラーク基地正門から裏門へ抜け、フレンド・シップ商店街を通って帰るのが近道なのだ。しかし、ピナツボ火山噴火後の略奪と火山灰被害で廃墟と化した旧店舗には、噴火で山を追われた山岳原住民アエタ族とホームレス達が住みついていた。彼らが執拗に通行車に金品をせびるのが疎ましく、その上、街灯の全てが盗まれているので夜道はとても暗く草茫々。

時々大きな蛇とかネズミもチョロチョロ出てくるので薄気味悪くもあり、あまり通りたくはない。だが、ここ以外のアンへレス周辺の橋は、火山灰ラハールの鉄砲水と泥流被害で破壊され尽くされ、ほぼ全滅していた。辛うじて、半壊状態で残っているアバカン橋を渡るしかないのだが、ここは慢性渋滞で橋を渡るには40〜50分は軽く掛かかる。それが嫌なら橋下の浅瀬に車輪スタック覚悟で乗入れるかの選択しかない。

但し、不幸にも車が川の中でスタックし立ち往生しても、橋下にウロチョロしている連中がワッ!と群がり瞬時にして川から押し出してくれる。勿論、水と空気以外無料の物はないフィリピンのこと。堂々と何十本もの手が差し出され押し賃が請求されるのはしょうがないこと。特にそれが外国人だと押し賃は200〜400ペソと相場の倍を請求されるのだから、日本人の知り合い達は何とかフィリピン人を装おうのだが、どんなに装ってみてもバレてしまうのが実に不思議だった。

これが数キロ北方のバンバン川になると、川幅もずっと広く人力で押すのはどだい無理。そこでは南国特特有の大きな角をした水牛(カラバオ)が車を引き、料金も跳ね上がって400〜800ペソと高かった。只、普段はそんなに金をもっていないはずのフィリピン人。スタックしたらどうやって払うのかと大いに疑問だったが、そこは全てが大まかなフィリピン人同士、あるだけの金を払えばよいとのことなので、根がケチンボのボク、こういう時は都合よくフィリピン人になれないものだろうかと切に思った。でも、このバンバン川付近の住民達。数メートルを越す火山降灰で耕作農地や住宅を失い、生活も苦しかったので、これは格好の現金収入とみなし、嬉々とし車がスタックするのを待っていたのも納得できる。なかにはわざと車を深みへ誘導しスタックさせるのもいて泣かされた人も多く、ボクもその一人だった。

しかし、災害復興計画が進み、93年にはアンへレス市内の橋が修復され、97年までには郊外周辺の小さな橋も修復完了。我々日本人間では神風特攻隊記念碑で有名なバンバン川岸にも、一昨年やっと大橋が完成。これで、水牛に車を牽引させる光景は、ポーラック川を除いては今や見られない。でも、ボクにはこんな風物詩が無くなっても、これまで毟り取られた金を考えればちっとも残念とは思わない。

スタックと言えば、大雨で河川が氾濫するとその周辺一帯が泥沼化するのは、雨季のルソンではごく普通のこと。そんな時、威力を発揮するのは4輪駆動車であって、乗用車は直ぐに足を取られ全く使い物にならない。そこで、どうせ車を買うなら4輪駆動車がいい、それも、スパルタンなジープがと独断で妻に相談もせず決め、サンフェルナンドの中古屋へ行き、自衛隊払い下げ三菱ジープを15万ペソで購入した。

この頃、自衛隊は新型パジェロ幌タイプジープに切り替えたから、大量の旧型ジープが払下げられて、フィリピンに送られた。もっとも、元来フィリピン人はジープが大好きだし、その上高性能でエコノミカルなデーゼルエンジン搭載の三菱ジープ。価格も12〜15万ペソと安いので、あっという間に完売だった。以来、アンへレス近郊には桜マークの自衛隊ジープが元気に走り回っているのを見ると、非常にいい気分である。ただ、その頃のアンヘレス市は窃盗、盗難、カージャック等が多発、治安がかなり悪く物騒で市中の両替屋もちょくちょく強盗に襲われた。ボクもよく利用していたある両替屋でも両替中の客と警備員が強盗に射殺された。知人の中華料理屋の息子さんも、白昼売上金を車で銀行まで運ぶ途中に、アンへレスの大通りで拳銃強盗に襲撃され車の運転手共々即死。但し、付近にいた警官と強盗段団とが銃撃戦になったので、現金は盗まれなかったという凶悪犯罪もあったのでボクも用心していた。まとまった金額を両替する時はアンへレスを避け、わざわざ目立たない妻の車でマニラまで両替しに行かざるを得なかった。

只、住居のあるカーメンビルはサブデビジョンの中。ここにはショットガンと拳銃で武装したガードマンがいて、四六時中パトロールしているから至極安全と安心しきっていたのだが、ある日、自宅の高い塀に囲まれた中庭に置いてあった新品のマウンテン・バイクが盗まれたのにはショックだった。これは、侵入者の物音が消される土砂降りの雨が降った夜、塀をよじ登ったドロボーが先に鉤のついたロープでバイクを引っ掛け、手繰り寄せ盗んでいくという手口だったのだ。

数日後、またもやここはチョロいと思われたのだろう、今度は塀を乗り越え、ガレージに侵入し車からステレオと工具類、それとさんざん使いこんだ臭い帽子まで盗んでいった。これには怒りを越え呆れて笑ってしまった。しかし、家人には笑えるどころか怖くて夜も寝られないと言うので、ガラス瓶の断片を塀の上に突き刺し賊が塀に登れないようにし、更に泥棒のもっとも恐れる犬、それも元マニラ米大使館警備海兵隊使用のK-9犬でヒットマン(殺し屋)という恐ろしい名前の犬を飼うことにした。

この犬は予算縮小のあおりで大使館をお払い箱になったのを 隣の米人から格安に分けてもらったのだが、慣れるまでは夜遅く帰宅し門の扉を開けた途端、ガォーと喉元を狙われ、おまけにこいつは近眼らしく嗅覚で確認するまでは、鋭く大きな牙を剥き出し唸るからドロボーよりこっちの方がよっぽど怖かった。

それより、もっと凄いのはお向かいの退役軍人ジョージョーおじさん。この人、米海軍特殊部隊シールズに出身で、対テロリストとゲリラ戦専門のベテラン戦闘員だった。若い時から、ベトナム・コロンビア・グレナダ・湾岸戦争・レバノンと戦い続け、日本の三沢基地駐屯を最後に44歳の若さで退役、生まれ故郷フィリピンに帰ってきたアメリカ籍フィリピン人のタフガイ筋肉マン。しかし、退役したとはいえまだまだ44歳なので血気盛ん、呑む打つ買うの三拍子が揃って大好き。毎晩、なんだかんだと奥さんに嘘をつき、Cポイント付近の怪しげなゴーゴークラブに入りびたり朝まで帰らない。さすがの奥さんも、これには呆れて愛想を尽かし4人の子供を連れてアメリカに帰ってしまった。

この彼、なぜかフィリピン国家警察麻薬取締りアンダーカバー・エージェントでもあり、常時、拳銃2〜3丁を腰と足首に巻きつけ動き回っている。ある日、近所の日系米人宅に賊が侵入し彼が勇んで駆けつけたとき、不審な物音に目覚めた奥さんがベットからそっと滑り降り、教本通り床に伏せ、灯りを背にした賊の腹部めがけて拳銃をぶっ放した。賊は即死だった。だって、あの奥さん元米空軍の軍人でピストル射撃チームのメンバーだったからな、うまい筈だ。「でも、これは他人事じゃないよ、アンタ方も護身用にピストルとショットガンを2〜3丁買った方がいいぜ。オレの拳銃とショトガンを2丁ばかし安く譲ってやろうか?しかし、どうしてオレの家には強盗がこないかな?もし来たら、これで一発よ」と彼は慣れた手つきで腰のベレッタ92Fを引き抜き、パッと構えた。

そんな恐ろしいことを平然と、さも、普通のことのようにジョージョーは笑いながら話していたのだが、横で話を聞いていた妻はもう真っ青、生きた心地もせずという風情。「しめた!」。もともと銃が好きだったボクは、この絶好のチャンスを見逃さず、「自衛の為だからね」と嫌がる妻を優しく口説き落し、マニラのメガモール内にある銃砲屋へ妻を連れて行った。そこでアメリカの私服がよく携帯する短銃身のS&Wの38口径5連発リボルバーに、フランス空挺部隊用に開発されカービン銃としても使用できるスットック脱着式9mm口径のブローニング・ハイパワー13連発。暴徒鎮圧用に警官が使用するポンプ・アクション・モスバーグの8連発散弾銃。それと庭師兼夜警代りの使用人用にと、中国製の安い上下2連銃も買うことにした。

それに、たまたま運良くバーゲンセール中だったので(拳銃のバーゲンセールとは、さすがフィリピン)ライセンス代も含め4丁で〆て9万ペソ(96年当時のレートで43万円)。アメリカに比べると高いが、日本ではモスバーグ散弾銃は約25万円はするから9万ペソとは安い!。当然外国人には銃砲所持許可が出ないので妻名義で所持許可証と携帯ライセンスを申請し、数週間後に許可になり、銃砲屋さんが自宅まで4丁の黒光りする銃を届けてくれた。

「ヤッタヤッタ!」、あまりの嬉しさに年甲斐もなく興奮。ダンボール箱を開け。一丁ずつ取り出した銃を丁寧に分解。付着している油を丹念に拭い、銃を磨き上げ、飽きずに眺めてはニヤニヤ。ボクはやっと念願の銃を手に入れられとても幸福だったのだ。

翌日、住込庭師のアランと運転手エリックの2人に「もし武装強盗が家に侵入してきたらこれで撃ように」と散弾銃を渡しておいた。なにしろフィリピン人なら誰でも銃を撃てると思い込んでいたので、安心して2人に銃を渡したのだが・・・。突如、轟音が響きアランが吹っ飛んだ。慌てて駆け寄ってみると、顔面血だらけのアランがのた打ち回っている。ビックリして隣にいたエリックに事情を尋ねる。驚いたことにアランは生まれて一度も銃など撃ったことがない、が、見栄っ張りな性格なので撃ったことがないとは口が裂けても言いたくない。そこで見様見真似で撃ったみたのだが素人の悲しさ。鼻の下に直接銃床を押し付け発射してしまったのだ。普通、散弾銃の発射時衝撃重量は約1トン!コンクリートの床に押し当て発射すれば、衝撃で床にヒビが入ってしまう凄いパワー。これをまともに顔面に食らったアラン。前歯が2本折れ顎も脱臼してしまったので、病院で治療を受けることになった。当然アランは健康保険には加入してないから、治療代はこっち持ち。2重のショックと負担でトホホだった。しかしこのことがあってから、暫くはアランも自重し平穏無事の日々が続いた。

そんな或る夜、"ズッガーン"と大音響!。続いて何かがバラバラッと寝室のガラス戸にあたった。その音に慌てて飛び起きたボク。傍らで震えている妻にここから動かないようにと指示し、ショット・ガンのチューブに弾を込めながら階下に降り、廻りの様子をそっと窺う。だが、庭にはドライバーのエリックと彼の女房ジェシカがボケッと立っているだけ。室内にも強盗か盗人が押し入って荒らされた様子も無く猛犬ヒットマンも緊張もしてない。それでも、用心しながら銃を構えて庭先に立っているエリックにそっと近寄り「どうした」と訊ねる。するとなんのことはない、例の実弾入り護身用上下2連発散弾銃をベット上の棚に置いているが、その夜二人の激しい夜の営みでボロ家の壁板全体がきしみ、徐々に銃は棚からずれ落下したショックで銃が暴発。2発の弾丸が飛出してトタン屋根を吹き飛ばしてしまったとのことなので、あまりのバカバカしさに主従共々大笑い、ワッハッハ。しかし、バカ笑いしながらも、もし弾が天井でなく水平だったらと・・・考えたら身震いがとまらなかった。ところが、この時は知る由もなかったが、エリックのトタン屋根どころではない、大きな落し穴がボクには待ち構えていたのであるが、それは、次号で詳しく書くので宜しく。

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