マイク福田の       Vol.3
アンへレス物語

フィリピンのアンヘレス市に移って数ヶ月。当地の水にも慣れ、飲んでも下痢をしなくなったのだから、たいしたもんだと自分でも驚いてしまった。これは肉体が現地化してきたのだと、嬉しいような寂しいような複雑で妙な感覚だった。又、雑誌特約海外取材記者としての収入が毎月日本から振り込まれているのだが、この金額での当地暮らしはまったく快適の一言。東京に居たときの生活とは、比べようのない王侯貴族並みの生活である。まるで嘘のような暮らしになってしまったので、慣れないうちはかなり戸惑った。

たとえば、家にはメイドも庭師もコックも運転手も居て、庭には青々と水をたたえたプール。瑞々しい緑の芝生の上に白い錬鉄製のイスとテーブル。無論朝起きてから寝るまでの三度三度の食事はコックが作り、外に出かけるときは運転手が車を運転する。洗濯物は、浴室に脱ぎ捨てておけば黙ってメイドが持っていって洗濯。翌日にはパリッと糊をきかせてプレスしてクローゼットに吊るしてある。当然、家中の掃除はメイドがするという、まるで夢の中で生きているような生活なので、地に足がつかずフワフワと浮いてしまった。(因みに、これら全て諸々の経費等を含め、一ヶ月の生活費は、約15万円位)

しかし、こんなに贅沢な生活をしていたら、何か生産的なことをフィリピンでしたいと決心し、ここへ移ってきた目的が崩れてしまうと思うのだが、一方生まれて初めて味わったあまりにも居心地の良いこの生活を捨てるのも惜しく、ついつい、グズグズと理由をつけ日伸ばしに伸ばしていたのも事実だった。

その理由の1つはというと、当地で日本人が始める定番事業と云えば、中古車やその部品輸入販売とかタクシーにレンタカー、あるいは、カラオケやレストランにプロモーターというような水商売関連事業がメインなのである。これではせっかくフィリピンに移住した意味がなく、ボクとしてはもっと現地に根付いた何か生産的なことをしたいのだが、悲しいかなこの出来の悪い頭ではそんないいアイデアがポッとは出てこない。でも、話に聞く華僑の人達は多少まとまった金を掴むと土地を買うというのをヒントにし、まずは土地・家・アパートというような不動産に投資してみようと考えた。不動産ならば、アパートとか貸し家からの家賃が入り、土地価格も徐々に上っていくはずだから、ペソ換金した日本円をいつまでも銀行に預けておき、為替相場の変動で激変する貨幣価値に、毎日、オロオロドキドキしなくてもよくなると判断したからだった。でも、本当は、あまりもの贅沢な生活の心地よさに麻痺してしまい、慣れない仕事を無理して始めなくても、海外レポーターとしてこのまま過ごせればいいじゃないか。しかし、そんなことはないと思うけど、万が一レポーターの仕事がこなくなることも考え、安全策としてリスクの少ない不動産投資でもしておこうかと思ったのも本心だった(全く軽薄で意思薄弱なのには、自分でも情けなく、実に恥ずかしい!)

ということで、ボクは、真面目に次の仕事には取り組まないで、土地やらアパート探しを優先させることにした。妻の叔母で、この界隈のことは何でも知っている生き字引、バリバゴのメリエッタ叔母さんの家を訪ねた。この叔母さんはとても世話好きでいい人だが、かなりのオッチョコチョイだし、借金をしてでもパーッとやるのが大好きな典型的なフイリッピン人なのだ。彼女はボクの話を終わりまできかず外に飛び出して、日本人がアパートの売り物を探していると近所に触れ回った。すると、数時間もしないうちに近所のオバさんやらオジさんやらがワンサと叔母さんの家にやってきて、掘り出し物があるから見に行こう、すぐそこだから見行こうと誘われた。ボクは妻と叔母さんと一緒になって、ほいほい、ついていったのが大間違い!。いくら慣れてきたといっても外の暑さはハンパじゃなく、僅か数分も歩くと目眩がし思考能力はゼロ状態になってしまったので、どれを見てもみな同じにしか見えないのだった。だが、それでも無理をして数軒のアパートを廻った頃、急に意識が朦朧としクタクタッとだらしなく歩道にへたりこんでしまった。それを見た妻が慌てて大量の水を頭から浴せ、涼しい木陰で休ませたので熱射病の一歩手前でやっと助かった。

翌日、これに懲り今度はジプニーを1日1,800ペソで借り切り、オジサンやらオバサンやらの案内人も一緒に乗せ、食料と飲料水もタップリと積み、もうほとんどピクニック気分でアンへレス周辺のアパートをグルグルと20軒近くも見て回った。只し、未だこの時点ではフイリッピン人気質を良く知らないから、陽気に食べ飲み騒いでるオジサン・オバサン集団に魅せられ、良い人ばかりだなと素直に感激し嬉しくなった。そして、こんなに親切にされたのだから、せめてお返しに食事ぐらいは奢ごろうと町一番の中華料理屋である上海楼へオバさんやオジさん連を招待、大判振舞をしたボクは王様気分で大満足だった。アパートも、このオバさん軍団の一人であるチャエンおばさんが紹介してくれた、クラーク基地正門近く、ドングェコ通りにあるアパートが気に入り、購入することにした。

このアパート、1棟300平米の建物が、左右対称に道を挟んで2棟建てられていて、戸数は8ユニット。2階に2つの寝室、1階に居間とキッチンにバストイレがある典型的なフイリッピンスタイルのアパート。無論、各戸別にガレージも付いているし、見たところ建物の修理も不要で価格も140万ペソと悪くはない。それに今いるテナントさんは、家賃をきちんきちんと払ってくれる人ばかりだと大家さんが太鼓判を押す。さて、2軒まとめて130万ペソでどうかと大家に言うと、拍子抜けするほどあっさり大家は"OK"だった。これにはいささか驚いたが、相手が負けると言うのだからそこでメデタク交渉は成立し金を支払った。これでついにボクはフィリピンでアパートオーナーとなったのだ。と言っても、外国人の土地所有は認められないから所有者名義は妻だが、それでも気分はもうすっかりアパートオーナーだと舞い上がった。

夕方、ささやかな祝宴を身内を呼んで叔母さんの家で開いた。その席で心地よく酒に酔ったボク、いかに大家と交渉し、いかに安くさせたかと得意満面鼻高々で家人に自慢しまくった。すると同席していた義母がさもバカにした口調で、「ふん!ここでは1〜2割の値引きなんかあたりまえよ。それをたった7分引きだとは情けないね。なんで、あんたが付いていて交渉しなかったんだい」と、矛先を妹である叔母に向けなじった。「まさか!私に相談もなく勝手に決めちゃったんだよ」と、叔母。

ボクのミスで2人が口論となりそうなところへ、アパートを紹介してくれたチャエンおばさんとその家族がやってくるなり挨拶もそこそこに、「謝礼金をくれ!今すぐくれろ」と、ボクに謝礼金の催促をするではないか。何も今夜でなくともチャンと出すのだから催促しなくてもいいじゃないかと、言っても、「いや!今すぐ欲しいのだ」と動きそうにもないので不愉快になった。

が、しかし、これからの長い付合いを考えればしょうがないと、太ツ腹日本人を装ったボク、ちょっと多すぎるとは思ったが1万ペソを財布から出し、鷹揚に頷きながらチャエン叔母さんに渡したのだった。

ところが、このオバサンは感謝どころか逆に声を荒上げ「不動産売買仲介のコミッションは、買値の5%が原則だ。それなのに、たった1万ペソとはなんてケチな奴なんだ!規程通りに7万ペソ払え!」と、妻の家族と自分の家族に向かい涙をながらに訴ったえたのであった。

     Vol.2へ   |   Vol.4へ