マイク福田の       Vol.2
アンへレス物語

アンヘレスには米本土以外では世界最大と言われたクラーク米空軍基地があった。以前から取材と仕入れを兼ね度々訪れていたのだ。この基地の町に充満する独特な退廃的ともいえる植民地的雰囲気と猥雑なムードが、なにか懐かしく好きだった。特に、基地のダオ裏門近くに、金さえ出せば米軍用品なら何でも揃う、通称「ダオ泥棒市場」と呼ばれるダオマーケットがある。当時、日本で大人気だったフライトジャケトのMA−1、極寒地用のN-3B、ネービーパイロット用のG-1皮ジャン、というような超人気商品のパイロットジャケットがここで格安に手に入った。日本に持っていけば5〜6倍というオイシイ商売が出来たのも事実であった。

凄いのは、91年夏のピナツボ火山噴火の際、米軍は総員退避基地閉鎖となった時の話。 噴き上げる噴煙で空は真っ暗に砂塵で覆われ、焼けた岩石が落下。町中は右往左往の大混乱。その最中、「基地に行け!基地に行けば、なんでもかんでも盗りたい放題だぞ!」との声が何処からともなく湧きあがり、火山灰降りしきり昼間なのに真っ暗な町を、群集がクラーク基地に向かって怒涛の如く押し寄せた。
その人数は数万人を越したと言われている。この群集、力を合わせ声を揃えてユッサユッサと鉄柵を揺すり、押し倒し、基地に雪崩込んだ。なんでもかんでも片っ端から略奪。瞬く間にクラーク基地を丸裸に廃墟化してしまったというから逞しく凄いマンパワーではないか。

当時、クラーク基地には少数の残留空軍憲兵AP達がいた。だが、この人数では数万人の暴徒化した大群衆に向かっては歯が立たず、かといって発砲も出来ずなす術もなく唖然と装甲車の中から黙って略奪を見送るしかなかったそうだ。このどさくさ紛れに基地から持ち出された各種様々の盗難品はダオ市場に持込まれた。そこは抜け目ないダオ商人達、もとはタダの物だと叩きに叩き、買い捲くり、市場に集積。その総量たるや、向こう十年分は蓄積したのだ、と知合いのダオ市場商人はそう豪語した。実際、ダオに行けば今でも米軍用品を買うことが出来るのがその証であろうか。

その後、このクラーク基地は平和利用地に転化。大統領府直轄クラーク再開発事業団発足。フィリピン空軍は残るが民間航空会社と滑走路を共用。基地内施設も空軍使用地域と経済特別区に別れ、経済特別区は大統領府直轄管理とされた。更に外国資本の企業や工場に大小各種の免税店が30軒近くオープン。日系企業も、ヨコハマ・タイヤを初め数十社が進出し、付近には日本食レストランや韓国料理店が数多くある。クラーク基地正面ゲート脇、チェックポイント付近と呼ばれる辺り。ここはかっての米軍専用歓楽街であったが、今では米軍に代って各国企業の駐在員やら、オーストラリア、ドイツ、スイス等のヨーロッパ人長期観光滞在者が、ネオン街を夜な夜な闊歩しフィリピーナとの交友を深めている。

さて、前置きが非常に長くなってしまったが、そういう訳でアンへレスに移住し家を購入した。それが驚くことにそれまで住んでいた原宿のマンション家賃一年分(約500万円)で、芝生の庭付き300坪の土地に6LDKもの豪勢なアメリカンハウスが、中古ではあるが即入居可能状態で買えたということだった。もっとも、今でもペソに対する凄い円高により、同規模の家が同価格で購入できるのは魅力であろう。因みに、これらの家々は横浜の高台に見られるようなエキゾチックな白塗の瀟洒な洋風住宅で、かっての米人達が住んでいた集合住宅地域にある家なので程度も良し。

更に、これら住宅地は周囲を高い塀に囲われ、銃を持った警備員が出入者を厳重にチェックしている。つねに警備員が数人で巡回パトロールしているので、強盗・泥棒等の心配がなく安心して住める。僕も、数多いこのような集合住宅地の中から一軒を選び購入したが、非常に居心地が良い。さて、これで住居も決まり、次に、ここでの将来の生活基盤である商売を決めようと色々考えた結果、手を出したのだが....あっ、残念ながらもう紙数がないから、次号まわしということでなので宜しく。

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